戸田家所蔵文書の中に埋もれていた『「阿弥陀経和訓図絵」巻之上、巻之中、巻之下』の三冊。昔の筆文字の文にこれまた大和がなで書かれたフリガナ、しかも葛飾北斎や歌川広重など江戸時代の絵が細かく画かれてある。
この原文を左頁に、右頁には書き下し文を並べた。できる限り改行位置を一致させることにも留意したため、原文にも比較的容易に親しめるはずである。
阿弥陀経を理解する
(上巻)
この阿弥陀経は功徳広大無辺なり、そも釈迦如来の御本願は一切衆生を化益(けやく)して、極楽浄土、安楽国へ往生させんとの広大無辺、大慈大悲の仏恩、言語に述べがたく、諸の御示百般(おしめしひゃっぱん)にて、或は大乗の教へに一心三観の旨を自ら悟り即身成仏の素懐を遂げしめ給ふ。
摩訶迦葉 是は十大弟子の第一の高弟なり、二人の弟あり皆迦葉なり、長兄は優楼頻羅迦葉(うるびらかしょう)と呼び頗る神通あり、次兄は迦耶迦葉、三男は那提迦葉みな釈尊の御弟子となる。
(中巻)
極楽には歌舞の菩薩とて二六時中音楽を奏して諸人の心を楽しめ、善心を生ぜしむとなり。樂は宮(きゅう)、商(しょう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う)の五音を調べて是を奏す。五音の清濁によって世の治乱を察せん為に作り設けられたり。宮の音乱るる時は帝王の行い正しからざる、また帝王の身に災いある兆しなり。商の音乱るる時は臣下に叛く者あるか、臣下に禍あるの兆しなり。角の音乱るる時は民に災いあるの兆しとし、徴の音乱るる時は草木に災いあり、五穀凶作の兆しとす。されば樂は国を治るの器なり。
(下巻)
釈尊沙弥となりて、樹下にて月の出をまつ、亀川より出で陸へ這い上がる、時に又一頭の水狗(かわうそ)出で来り、亀をみて忽ち喰らハんとす、亀は即時に頭と四つの脚を縮めて、甲の内に蔵しけり、水狗百計すれども喰らふこと能ハず、せんかた尽きて身を退けば、亀は頭手脚を舒べて歩みぬ。水狗また追い行て喰ハんとすれば、亀また縮まり蔵れる、如斯すること三四度にして水狗精根を労し、遂に亀を捨て、川の中へ入りけり。
世に観る經の註書多しといへども 解きかたくむつかしく 或は無用の事を載せて読むに煩しきものすくなからず此書廣く諸書を参考し 且解きやすきやうに和語にも註を加え また繪をとり入れて童蒙まで見たまふに 面白く。